昨年3月、戦禍のウクライナから日本に避難し1年余り、台東区内で暮らしているルブキナ・オクサナさんに話を聞きました。(聞き手・あきま洋区議)
▶あきま 台東区での避難生活が1年を超えました。振り返ってどうですか。
▶オクサナ 平穏な台東区でくらしていると、激しい爆撃により常に命の危機に直面していた昨年の2月が遠い昔のように感じます。
日本での生活で一番の不安は、家計のことと、息子・グレゴリーの教育と健康についてでした。そのことに神経をすり減らしていました。でも、台東区やボランティアの支援者の方たちが、日本語教育の拡充や、学校・地域での孤立を和らげようと親切に対応してくれ、今はとても落ち着いています。区と地域のみなさんにとても感謝しています。
▶あきま オクサナさんは10年ほど前まで日本で働いていたので、日本の永住権を取得していると聞きました。日本語がとても上手ですね。初めてお会いした時、驚きました。
▶オクサナ 日本語の壁は他の人より低いかもしれませんが、逆に苦労もあります。永住権があることで、私については避難民として扱われず、様々な支援が受けられません。
現在の住宅の家賃は無料ですが、これは息子が避難民であるための息子への国の支援を、保護者である私が享受している、というわけです。家計を支えている児童扶養手当も子どもへの手当で、私への支援ではありません。
▶あきま そうなのですか。それは理不尽に感じますね。オクサナさんとしては、国に何を望みますか。
▶オクサナ 避難民として認めてほしい、ということです。私と息子は、わずかな荷物をリュックに入れ、走って走って、逃げて逃げて日本まできました。避難民と認められないのはとても寂しいです。お金の問題ばかりではありません。
4月から、日本語のビジネススクールに通ってハローワークの支援を受けるようになりました。避難民への支援は3年間が一区切りとなっていますが、私は息子と一緒に、この日本で自活・自立していけるように早くなりたいと思っています。でも3年後、避難民である息子への支援が打ち切られたら、住宅を確保できません。ウクライナに帰る以外なくなるでしょう。
また、日本は戦争をしないと世界に約束した国です。戦争は本当にいやです。日本はその約束をこれからもずっと守ってほしいと思います。
▶あきま オクサナさんとグレゴリー君にずっと日本にいてほしいと思っています。平和のために私たちもがんばります。