「鵜呑みはダメ」が自立の原点 五十川
戦時性暴力は自立阻害の象徴 瀬 山
終戦から76年の8月を迎えました。この間、平和と女性の人権の課題がどうなってきたのか。台東区で男女共同参画の運動にかかわっている、五十川チトセさん(元台東区議会議員・台東区男女平等条例をまなぶ会)、瀬山紀子さん(元はばたき21コーディネーター・台東女性史あゆみの会)に対談していただきました。
いそかわ・ちとせ 元日本共産党台東区議会議員(83~95年)。台東区男女平等推進プラザの発足と同時に男女平等条例をまなぶ会を発足。現在、同会代表。
せやま・のりこ 現在、明治大学他、非常勤講師。01~08年、台東区立男女平等推進プラザ・コーディネーター。共著『 官製ワーキングプアの女性たち 』 岩波ブックレット2020
瀬山 五十川さんのライフワークである男女平等問題と、戦争体験の関係についてお話うかがえますか。
五十川 私は1945年8月15日まで戦争に全く疑問をもちませんでした。命からがら朝鮮から引き揚げ、その後3年近く「名前のついたものを食べたことがない」ほど、ひもじい思いをするなかで、「どんな偉い人のことも、親の言うことも鵜呑みにしてはいけない」と強く思うようになりました。
姑などに辛い思いをさせられているのに、とにかく早く嫁に行けという母親。女子は1年でも早く卒業させようと、4月3日生まれなのに3月30日生まれと届けられたことにも反発がありました。
女でも自分の頭で考え、自分の道を決めたいと英文タイプの技術を身につけ就職し、自活できるように頑張りました。女性の社会的地位の向上をめざす私の原点は戦争体験です。
瀬山 私の祖母は柳橋に住み、戦争中は市川に疎開していました。生前、東京大空襲の時は西の空が真っ赤に燃えていたこと、また、友人がたくさん犠牲になったこともあり、大空襲のことは思い出したくない、と話していました。
私は、高校や大学で学ぶ中で、自分自身の生き方の問題として、女性の権利や、ジェンダー平等の問題に関心を持ったのですが、「慰安婦」問題をはじめとする戦時性暴力など、女性が一人で生きていけない社会と暴力=戦争は、深く関わる問題だと思っています。
五輪強行、戦争中のよう 五十川
美辞に「まやかし」感じ 瀬 山
五十川 戦争を遂行するには、女性の家事労働は「養ってあげてやる・安く使える」考えが必要だったということがあります。戦後、男女平等が憲法でうたわれましたが、いまでもその考えが日本社会に根強く残っています。さらにそれに加え「家計のため外でも働け」と安価な労働力として重宝されています。
瀬山 私自身も約20年、公務非正規として働いてきました。多くの公務現場で、非正規の公務員が、使命感を持って働いています。ただ、その担い手の多くは、女性で、それゆえに、不安定で、低賃金の、まさに官製の、ワーキングプアといえる状況に置かれています。人権や福祉の相談という重要な公務労働が、不安定で低賃金な非正規によって成り立っていることに、多くの働き手は気づき、おかしさを感じています。理念が空洞化してしまっているのです。
働き手は、人権や多様性の尊重、女性活躍など、「聞きざわりのいい」言葉を喧伝することに加担させられているとも言えるでしょう。これは、五十川さんが戦争で体験した「まやかし」に共通するのではないかと、今日のお話を聞いて思い至りました。
五十川 私はこの五輪に危機感を感じます。国民の多くが反対し、コロナが爆発的に感染しているのに、否応なしに突き進む日本は、おかしいと思っていても戦争にどんどん反対できなくなっていった戦前の空気と似ています。こういう時こそ女性のパワーが大事なのではないでしょうか。がんばりましょう。